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Last day at Clark High School
2011 / 05 / 26 ( Thu )

日にちがあまり経ってしまわないうちに....


まずは、①大学院卒業しました

誕生日に↓の修士論文を教授たちにプレゼンし、プレゼンはも~それは酷い出来だったにも関わらず

「質問に対する受け答えが素晴らしかった」

「自信に満ちていた」 とのことで(笑

プレゼンを終え、質疑応答を終え、会議室から出るよう指示され、数分後にChairの教授がニコニコして「Come on in」とドアを開けてくれ、「We are signing your papers!」と言ってくれたときはほんとーに嬉しかった。大げさじゃなく泣きそーだった。

ここ数ヶ月苦しめられただけに解放感はとっておき

あのままミズーリの大学院に残っていれば去年の今頃にはとっくに貰えていたであろう修士号を3年にわたるオーバータイムを経てやーっと修了、晴れてMaster of scienceとなりました。これで名前書くときには

Akiko Kai, MS, LAT, ATC, CSCS

です。まぁLATはもうすぐネバダ州でのライセンスが切れるので無くなりますが。(日本帰ったらあんまどれも関係ないし・・・)

本来アメリカでアスレチックトレーナーとしてフルタイムの職を探すのならこれが本当の意味でのスタートラインだった。

言わばATCになってからの3年間も含めてこれが準備期間だと捉える人も多いです。この辺の想いについてはまた長くなりそうなので、また後ほど。


次、②27歳になりました


沢山のBDメッセージありがとうございました

卒業が決まった日が誕生日だったから嬉しさは倍増。この日周辺はLAから3組ぐらい友達がベガスに遊びに来てて、祝ってもらいました。

まぁ中には 「プールで酔っ払ってこけて顔をざっくり切ってしまったから助けてくれ」

っていうATCの友人もいましたが・・・もうトレーニングルームの鍵返しちゃったし手元には何もねーよ。寝てる私に通報する前に病院行ってくれと。

CSUNの先輩たちの軍団ともEncoreのクラブ"XS"で大はしゃぎして、久々の再会はすごく楽しかった!けど、次の日両脚めちゃめちゃ筋肉痛・・・。どんなはしゃぎ方したんだと。27歳まだまだ若いよ。


その③ 約2年間勤めた高校での仕事が終了。

こちらも想いは尽きません。最後に自分のトレーニングルームを閉めて鍵を返したときなんとも言えない気持ちでした。

ここで色ーんなことがあって色んな思いをして色んな日があったけど毎日ドアを開けて、ドアを閉める私が居たから生きていた空間。

ここにもう戻って来ないんだっていう実感はあまりなかった。明日もまた、終業のベルが鳴る頃にのそのそと私が現れてトレーニングルームには生徒達がひょっこり顔を出すような気がして。

最後の日に学校を去る前に、スプリングトレーニングをしていたアメフトの選手たちが全員で高校の応援歌を私の為に歌ってくれました。

最初のシーズンでは試合中に大声で怒鳴られたり言い合いもしたヘッドコーチは「ありがとう」と固い握手をしてくれて、Varsityの子達がサインしたサインボールをプレゼントしてくれました。

誰にとってもベストのトレーナーだったと言えるところからは程遠いのはじゅうぶん分かってます。それでも半人前で頼りない私を慕ってくれ、頼ってくれ、サイドラインに立たせてくれ、全てを任せてもらえたこと。

「僕のトレーナーはKaykayだけだよ」 って寂しそうに言ってくれた生徒。

その全てにただただ、ありがとう。毎日毎日グランドから私のところに足を運んでは疲れた体をアイシングしてた生徒のことを、後任のトレーナーがまた変わらない、いやそれ以上のケアをしてあげて欲しい。
それだけが願いです。

トレーニングルームの鍵、体育館の鍵、オフィスの鍵・・・ 

それが全部無くなってしまったキーチェーンには家の鍵と車の鍵たった二個だけしか残ってなくて、手にする度にすごーく軽くて、寂しい。

もういつものように高校に行っても、入ることすらできないんだなぁ。

でも、きっと、誰かが怪我をすれば今でもみんな真っ先に私の名前を呼んで探すに決まってるのに。

走ってトレーニングルームに来て「Kaykay!」ってドアをドンドン叩くに決まってるのに・・・

練習の後にとぼとぼとトレーニングルームに歩いて来ては、私がいないことに気づいて肩を落とすのに。


あなた達の未来は光と希望に満ちてる。どんな可能性も、自分次第で変えることができる。

大人になる過程で自分を見失いそうな時、どうか自分の中に宿るアスリートを忘れないで。

どんなに点差を開けられても必死でボールを追いかけて諦めなかった自分とチームメイトたちの姿を忘れないで。

砂漠の暑さにめげずに闘ったこと、思い出してあげて。

そして高校生の、アスリートだった自分を、これから一生誇りに思い続けてくれると約束してね。



photo (2)

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photo (3)

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Best of the luck to all Chargers! May the Charger spirit stay in you forever.

GO CLARK!!!!!

Love, Miss Trainer Kaykay


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07 : 49 : 12 | ATC(GA)時代 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
君の未来
2011 / 04 / 30 ( Sat )
高校での仕事も残すところあと僅か。

と同時に、長かったアメリカでの生活の終わりも着実に近づいてます。

うちの高校の男子バレー部は伝統的になかなか強く、毎年のようにプレーオフに進出します。

今年もプレーオフはほぼ間違いなく、レギュラーシーズン残すところあと二試合。

去年はリハビリを数人抱えていたけど今年は怪我らしい怪我もほとんど無く、選手達が身体面で思うようにプレーできていました。それがどれだけATCにとって意味のあることかは言うまでもなく。

ところがここに来て、アウトサイド(ポジション)の二年生が膝を負傷。

この子は、私が二年前にここに配属になったときに新一年生だった子でいきなりアメフトの練習で脳震盪をくらい私の事実上初仕事となった子でした。

体もまだ細く、決して賢い子ではなくどちらかと言うとボーっとしてて勉強もいまいち、人の言ってることが分かってるんだか分かってないんだか・・・という子。

特に才能があるわけではないけどスポーツは大好きで、夏はアメフト冬はバスケ春はバレーと、常に何かやっていた。そして、毎日のように私のトレーニングルームに来ては何かして欲しがる。

大した用事はないけどいっつも立ち寄って、何かちょっとしてあげればすぐに満足して去っていく。

トレーニングルームを休憩所と勘違いして居座りたがる選手ははよくトレーナーに煙たがられるけど、この子の場合はそういうわけではなく、ふらりと来て何かを貰えばすぐに満足してそれ以上私をBotherすることはない。

そして「ありがとう」を必ず忘れない。

今時の非常識な親に育てられた「ありがとう」「ごめんなさい」を言えない子が後を絶たない中で、こういう子は世話をしてて気持ちがいい。


二年間毎日見てきて、気づいたらもやしっ子だった体もだんだんアスリートの体になりつつある。背も伸びてきてポテンシャルの高さが目に見えて分かるようになってきた。

去年は遊びの延長だったバレーも、気づいたら一軍のレギュラーとして欠かせない顔になっていて。
一体いつ覚えたの?! って思わず目を疑ってしまうようなスパイクを見せるし、練習中のハングリーさ、真剣な表情も二年前とは全然違うものになってる。

一年中違うスポーツをやってたくせに、バレーのシーズンに入ったらまるっきり立派なバレー選手になっていて習得の早さに驚かされるばかり。


今までどのスポーツのシーズンにも何十回と「ここが痛い」と私のところに来てたけど、毎回次の日には何もなかったように練習を再開してた。だけど今回の膝の怪我は、ひと目みて何か違った。すぐにMRIだって思った。

だけどここからがこの仕事の現実。


家が貧しく、充分な保険が無い。

両親は当然離婚していて母親が毎日仕事漬け。私が「すぐにでも病院へ」と医師への紹介状を送ったところで、お決まりの聞き飽きた台詞 「そんなお金はない、時間もない」

「どうすればお母さんは病院に連れてってくれる?私に何か出来ることはある?」

そう私が聞いても、下を向いて首を横に振るだけ。

「お母さんはバレーをやってること知ってるんでしょ?試合に出なきゃいけないことも」

「うん。でもお母さんはそんなことどうだっていいから」


こんなやりとりも実はあらかじめ読めていたけど、それでもやるせなくてただ悲しい。

二年前に重い脳震盪を負って私がこの子を救急車に乗せたときも、この母親は電話口で「夜まで仕事だから抜けられない」 と怒ってた。

「My mom don't care, you know」

今回も知っていたけどやっぱり言わせたくなかった台詞。ごめんね。


3つもスポーツをやって一年中鍛えてるのに、いまいち筋肉が付いてきていないのは栄養に原因があるんじゃないかと疑ってる。前に私が誰かにピザをホールでもらって余っていたときにこの子に「ピザ食べる?」と聞いたら、「ピザはもう飽きた」とボソッと言っていた。

会ったこともない母親を私は知らない。これだけ常に何かの試合に出ているのだから、普通だったら応援に来て顔見知りになっていてもおかしくないのにただの一度も顔を見たことは無い。

息子にとってスポーツがどれだけ人格形成に大きな役割があるか、知らないのかな。知っていてもどうしようもない現実があるの?でもせめて気にかけていれば、あんなことを息子は言わないんじゃないだろうか。

あと二年して高校を卒業したこの子が大学に行くことができるのかは私には分からないしそれを見届けることもできない。でも、同じような家庭環境の子供達を大勢見てきた。高校を出て大学に行くことのないまま働き始めた元選手たちは、卒業したあとも試合に顔を出して懐かしそうにフィールドに来る。

あの子たちの人生に、高校のとき夢中になったスポーツの思い出や自分の活躍した記憶がどれほど大きな意味を持つものか私には分かる。それはきっと思春期に何か夢中になれるものを持っていた人には誰にだって分かるはず。

私はこの子の晩御飯を作ってあげることも、栄養のある食事をするお金をあげることは愚か、医師の判断を仰いで今の彼が受けるべきベストの治療を受けさせてあげることも出来ない。無力、の一言。

この子のポテンシャルが不十分な環境によって最大限に伸ばされないこと、それは「仕方の無い」ことなのかな。

去年の暮れに女子サッカーの一年生でACL(前十字靭帯)を切った子がいた。

メキシカンの親は英語がまったく分からず、私は話をすることもできなかった。

この女の子は、試合に出させなかった私を恨んでた。「両親は医者になんか連れて行ってくれない。手術なんて受けさせてもらえない。だからもうサッカーはやらせてもらえないのね」 って怒った目で言い放たれた。



私の両親は私がやってた体操にさして興味はなかったけど、必要なことは全て、いやそれ以上してくれた。

それを当然、当たり前だと思っていた。

練習から疲れて帰れば栄養のあるご飯を食べさせてくれた。必要ならば車で練習まで送り迎えしてくれた。

体重を減らさないといけないからと言えば、低カロリーで栄養のあるお弁当を持たせてくれた。

膝(ACL)の手術で2ヶ月も入院していられた。学校の先生達も協力して下さったしクラスメイトはノートを取ってくれた。

今でも残ってる逸話(?)だけど、学校の友達だけでも全部で50人ぐらいお見舞いに来てくれた(笑)この場を借りて、ありがとう。

やれ国体だインターハイだってなれば、親は頑張りなさいと言って送り出してくれた。きっと救急車で運ばれようもんならお父さんも職場からすっ飛んで来てくれたに決まってる。


私が持っていた環境の数分の一でもこの子たちが持てたら・・・。

何もしてあげられなくて、ほんとにごめんね



07 : 48 : 28 | ATC(GA)時代 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
冥利
2011 / 04 / 02 ( Sat )



I'm gonna get the hell out of this "I wanna go but I have to write my stupid thesis" phase ASAP!!!!


野球とソフトのカバーでひたすらぼけぇーっとしている数時間。

天気が良くて、放課後の生徒達が気ままに通り過ぎていきながら

「Kaykay, how are ya?」って話しかけてきてくれたり

「寝んなよ」 って絡んできたり

「デート、明日の夜だったよね?」てオヤジギャグをかましてきたり

「Kaykay, why do you hate me so much?」ってあることないことまくし立てたり

「エイプリルフールで腕のギブスを作ったから、テーピングで固定して!」 と頼んできたり(これは結果的に大成功で監督をまんまと騙してた)

「この前アイシングしてくれたから、膝はすっかり治ったよ!」 と顔の見覚えもない子に感謝されたり(ていうか怪我じゃねーだろそれは)

「これ、ちょっと飲んでみて!お願い!!」って得体の知れない青い液体を飲まされそうになったり

「Kaykay, you look cute today! Give me a hug!」って突然あつくハグされた後に「一ドル貸して」ってせがまれたり(一ドルなのがちょっと微笑ましい。貸さないけど)



たった二年だったけど、高校生にとっての二年間がどれだけ濃いことか。二年前に初めて会った子たちが、たった二年でものすごく成長して大人になってってる。


いつも試合中に話をする学校のセキュリティガードのおっちゃんが、「よく生徒を知ってるね、僕よりも知ってるんじゃないか」って言ってた。

「We're gonna miss you next year」って、生徒や職員が口々に言ってくれることは素直にすごく嬉しい


選手・生徒達は、私を「先生以下友達以上」みたいな、どっちかと言えばちょっと年上の友達みたいな感覚で接してくるから また教師とは違った形で生徒達と関われる。

なめられることもしょっちゅうあるけど、それはそれで私は悪く受け取ってないかな。


高校最後の日はきっと結構悲しいだろうなと思うのです。ここも、あと一ヶ月。


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03 : 02 : 32 | ATC(GA)時代 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
嘘の日のほんと
2011 / 04 / 01 ( Fri )



ベガスは今日はすっかり夏の陽気。車を運転してたら軽く汗かきました。

朝(昼だけど)、なんかさっみぃなーと思って目が覚めたらルームメイトがエアコンかけてた・・・

おかげで風邪気味です。

陸上のカバーでひたすら外でぼーっとしてた。雲ひとつない空がすごく綺麗だった。

仰ぐ私とは不釣合いなほど澄み切ってて、自分の目には映しきれない青さ。
私の目を通してしまってはあの青がもったいない。


写真を撮っておけばよかったな。

キャンパス内で二つ以上のスポーツの試合をカバーするときは移動用にゴルフカートみたいなやつを乗り回してるんだけど、砂利の上をゴトゴト運転していたらでかい石をはねて、その衝撃でカートのハンドルを覆ってる鉄筋に想いっきり足をぶつけて、痛すぎて頭が真っ白になった。。。

本当に痛いときって涙も出ないですね。泣き叫べないし、動けないでしょ。

フィールド上で選手が倒れて、ギャーギャー痛がって転がり回ってるときは大抵の場合そう大した怪我じゃありません。

これは私の経験上。

本当に痛いときは患部をかばってピクリとも動けずに悶えるものです。Body languageで、選手のところまで走って行ってる間にある程度の予測はついてくるようになる。



ここんとこ修士論文に顔を半分埋もれてマジ吐きそー。

泥酔しても吐いたことのない私ですが修論に酔って吐けそうです。

Medial Tibial Stress Syndrome: Literature Review for Evidence-Based Practice

というタイトルで書いてますがほんとにしょーもない内容だと書いててつくづく思います。

同じ修士課程の子はSudden Cardiac Deathについて書いててそっちのほうが100倍ぐらいいい論文だと思った。


相変わらず危険な綱渡りをしています。大学院生やってはや3年。それでも卒業が危うい。

卒業式にかこつけて母が遊びに来ることになってるものだから、せめて卒業したフリくらいはしないと・・・


今頑張って終わったらいっぱい遊びたいよー


朝4時、星が綺麗だから少し散歩してくる。

ベガスはいつでも街のネオンが明るすぎて、せっかくの星があまり綺麗に見えないんだよね

宮崎の海で星が見たいなぁ









05 : 11 : 30 | ATC(GA)時代 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
レスリング真っ最中
2011 / 02 / 06 ( Sun )
レスリングトーナメント、只今各級の決勝が白熱中。

私の長い二日間ももうすぐゴール。
07 : 02 : 31 | ATC(GA)時代 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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