スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- )
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- : -- : -- | スポンサー広告 | page top↑
What makes you happy
2012 / 08 / 19 ( Sun )
去年までアスレチックトレーナーとして働いていたラスベガスのClark High Schoolのアメフト部が紹介されているニュースの動画を見つけました!

8 News NOW

インタビューに答えているシニア(4年生)の選手たちは、新入生でまだまだ子供だった頃から手を焼いただけにこうやって立派になって元気そうに練習している姿を見て感無量。

この砂漠で体感温度は50度近い中一緒にグランドを駆け回り、全員を熱中症から守ろうと必死でした。

このいかつい監督とも時には選手の状態をめぐって口論し、顔にツバ飛ばされながら怒鳴られたりしたものです。賢明に水を汲んでいる太った子はいつも私の手伝いをしてくれたし、試合に出してもらえなくても絶対に途中で投げ出さなかったし私がアイシングをしてあげる度に必ず「ありがとう」と笑顔で家に帰って行きました。

喋っているブロンドの子は骨折などの怪我を何度も一緒に乗り越え、励まし、ぶつかり、それでも「僕が18歳になったらデートしようね、引退試合を必ず見に来てね」と。。

約束守れなくてごめんね。

私は今日本で全然違う仕事をしていて君たちが知っている私ではないと思う。

でも一日も貴方達を忘れたことはないし一生忘れません。

高校最後のシーズン、私はいつもみたいに君たちの後ろで、サイドラインで見守ってるよ。怪我をしたらとんでいくから。




じゃあどうして離れたの?

どうして私は今サイドラインに立っていないの?サイドラインに立つことを使命だと確かに感じていたはず。誰かが倒れて、皆が私の名前を大声で呼んで、そこで選手の体に何が起こっていようと私の判断に全てが任せられる。

痛がりながらも不安な眼をしながらも、私がそこへ駈けつけることを望んでいたアスリートがそこに居たこと。

知っていたのに。ここが私の居場所だと自分にいつも言い聞かせていたはずなのに。

自分でそれ以外のことを見ようとせず、その役割を課してきたのに。



今でも答えは出ないし、どうして今トレーナーをしていないのか聞かれても苦し紛れに出てくる答えは私自身心から納得できるものではありません。

「人生一度きりだし、他の世界も見てみたかったんです」

「私に出来ることがトレーナーだけだとは思っていなかった」

「自分の両親が自分にしてくれたことと同じくらいのことを、いつか自分の子供にもしてあげたかった。それが日本でトレーナーをしていては叶わないと思った」

「安定した収入で心に余裕の持てる暮らしがしたかった。外国人として働く私の立場では、昼はトレーナーで夜は居酒屋のバイト、20代後半になってもその繰り返しだった。朝の5時まで生活のために肉体労働をする自分が惨めだった」



どれも本音でした。

それでも諦めずに今でもチームのそばにいて一緒に戦えるその素晴らしいアスレチックトレーナーという職業を生きている先輩たち、仲間たち、後輩たちがいます。

本当にかっこいいと思うし、チームに必要とされその感動を一緒に味わって生きているその人たちを本当に尊敬しています

その場所に自分がいないことにどこか寂しさや後ろめたさを今でもずっと感じています

一人で叶えた夢ではなかったから。沢山の人の支えがあって叶えた夢だったから。



今、会社のお金でいいホテルに泊まり、いいものを食べて 会社からもらうお金で生活の不安は一気に解消される

夜、ウェイトレスをしなくて済んでいる。明け方まで居酒屋で働き ゴミを集め、客の煙草の吸殻を集め、トイレの掃除をしなくて済んでいる このままいけばそんな生活も二度とないかもしれない。


苦労したなんて言葉はおこがましいと思う。

だけどどこか被害妄想を持って生活していたあの頃に戻りたくはない。

もしいつか、私がスポーツの現場に戻らせて貰えることがあるとしたら、その時は心から望んで その生活の全てを受け入れてそこに戻りたい。

だから今は戻れない。



そうやって考えて、悩んで、考えぬいて、今の生活を選んで、今の仕事に目標ややりがいをちゃんと見出して日々営業として暑い中足を動かす 先生に会う 検査・手術に立ち会う ありがとうと言ってもらえる。

自分の手で幸せにしたい家族もいる。それがこの道の先にあると無理なく思える。



なのに、こんな景色を目にすると、思い出すと、湧き出てくる感情があとからあとから。

この高校のこのグランド。観客席。コンクリートの上をゴロゴロとクーラーボックスを転がして練習へくる日もくる日も出ていったこと

日が沈むとピンク色の夕焼けが 泣きたいぐらいいつも綺麗だった

見渡せば東側にはラスベガスのダイヤモンドみたいなネオンがキラキラしていて

恵まれない家庭環境に暮らす多くの子供たちがお腹をすかせて家に帰っていった。

「もうピザは飽きた」って言ってた やせたあの子は道を踏み外したりしてないだろうか。重い脳震盪を起こしても迎えにも来なかった母親に ちゃんと愛情を貰ってるだろうか

成績も悪かったし、きっと大学に行けるお金も家にはない。いいアスリートだったけど栄養が偏ってるせいか体力がいつも足りず筋肉も本当ならもっともっとついて然るべきだった

帰る前にいつも私のトレーニングルームでアイシングしに来て 切り傷の手当をしてあげて また明日ねって
今も誰かが彼に言ってあげてるかなあ

私がいなくなった後で 閉じられたトレーニングルームの前で首をもたげたりしたんじゃないだろうか

ただのアイシングはただの気休めじゃなく 彼の疲れた体の痛みに本当に必要だった薬だったんじゃないか


私の心配なんてどこ吹く風で 元気にしてるかなあ

あんなふうに誰かの支えになれること 必要とされる事 今の仕事をしていてあるのかなあ

こんな風に思い返すといつも涙が出そうになるけど そんな彼らを一番必要としてたのは私のほうだった。


結局単純な自分はいくつになっても変わらない。難しく物事を考え込んでしまって ああだこうだと理屈をこねているけど 根っこはただただ誰かに必要とされたいだけ。

仕事、恋愛、友達 全部そう。



結論のない、意味のないような「自己」の声をいつしか出すことがなくなってきた。表現しようと試みることがどんどんなくなっていく。

周りの人たちとの関わりが表面的なものになっていく。キレイにまとまったところだけ出しておけばいいっていう自分になっていく。

それが楽だしスマートだし、醜いところやぐちゃぐちゃしたとこ、まとまんないところは本当に身近な人にだけ知っていてもらえばいい、ってなってく

でもそれじゃ駄目だよ。こんなに溢れる想いがあって、知ってほしいことがあって、分かってほしいって願いがあるのなら

表現していかなきゃやっぱり駄目だ 自分が自分でなくなっちゃう


思い出させてくれるのはいつも、アスリートたち。ありがとう。



スポンサーサイト
07 : 21 : 11 | ラスベガス生活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。